銀行員のリアル①

Fラン大学→就活→銀行員→ニート→公務員→FIREした夫の体験談

新卒で銀行に入行

就職活動について記事を書きましたが、夫は浪人していわゆるFラン大学生となりましたが、見事上位地銀といわれる銀行にありがたいことに内定を頂きました。

入行する前は「土日祝日が休み」「世間の企業と比較しても金融機関だから年収が高い」「ノルマ地獄とは聞くけど、自分ならやっていける」と夢を見ていたそうです。

同期は総合職、一般職合計150人程度。夫は総合職で、同機は早慶から大東亜帝国まで様々な大学の人がいて、同期最高ッ!って感じだったそうです。実際、私と出会った時も結構イケイケな感じでした。調子こいてましたね笑

銀行業務の大まかな分類わけ

さて、どこの銀行もそうだとは思いますが、銀行の支店の中でも支店によってランクがあるそうです。夫の銀行はSランク~Iランクまであったそうです。Sは大企業のみの支店、Aは大企業や大規模な中小企業。Iに向かうにランクが下がるわけではなく、個人(地主さん)とかを相手にする支店になるそうです。

ただ、どの銀行員も個人相手よりも企業相手の取引の方が金額のロットも大きくなるので、いわゆるエリートコースに入るにはSランクの支店に配属を希望するとのことでした。

銀行は基本的に「窓口課」「融資課」「営業課」と三本柱で成り立っており、男性総合職は基本「営業課」になるそうです。営業課は「企業担当」と「渉外担当」があり、営業課長等の職位の高い人が企業担当として大きい企業を担当、下員は地区で渉外担当として取引先を分けるとのことです。

融資課は個人ローン対応が多いです。「住宅ローン」「マイカーローン」はたまた、取引先でもあまり業績が良くなく、貸付金の返済が滞っている取引先を中心に仕事をしています。半●直樹は融資課でしたよね。

逆に窓口課は女性で成り立っているとのことです。私たち庶民が知っているのはこの窓口課の仕事ですよね。窓口の窓口にいる人のことをテラーというそうで、基本はパートさんとのこと。あとは最近は窓口課で資産相談をしていますよね。あれは正行員とのことで、投資信託や保険商品は預かり資産というそうです。

ざっくりこんな感じでしょうか。

では夫の経験談を書いていきましょう。

入行1年目

夢に胸をときめかせ、夫は入行。

1か月間のOJTを同期たちと行い、かなり楽しかったそうです。大学の延長のようだ、と言っていました。

OJTが終了し、いざ配属。

夫はAランクの支店に同期2人と配属になりました。まずは、窓口、融資の基礎を学ばないといけないとのことで、夫は融資課に配属となりました。そこで、銀行を退職するきっかけとなった嫌な上司との出会いとなります。

融資課は融資課長、融資係長、40歳くらいの女性主任、入行5年目の先輩、夫です。

夫はまず、融資課の業務を先輩に教えてもらいながら実行するものの、融資課の業務も伝票を使った仕事なので、そもそも伝票の使い方が分かりません。その時点で、融資課長に「はあ?そのくらいOJTでやってきたんだろ?ったくつかえねえなあ!」と配属初日に怒鳴られたそうです。

「わからないことがなんだかわからない。」先輩から教えてもらったことをノートに毎日まとめてはいましたが、同じ案件などほぼないので、伝票も記入の仕方が違います。そのたびに融資課長と融資係長から「つかえねえ」「勉強してこい」と言われ、なにをするのにも委縮してしまったとのことでした。

毎日魔日罵倒され、夜寝たら翌日が来ると考えるともう嫌で嫌で仕方がなかったとのことです。毎日毎日電車内で「銀行員 転職」で検索。親にも「石の上にも3年。我慢だ。」と言われていたようで、結局転職活動をこの時はしないのですが。この時の夫は死んだ目をしていましたね。胃薬を飲んで、たばこを吸って嗚咽をしまくってました(当初夫はスモーカーでした。)「毎日死んだら楽になれるのになあ」って思ってたそうです。

銀行員を7年経験して今の夫の感想は、窓口課で伝票を詳しくなってから融資課にいかないと仕事がわかるわけないと思いますがね、、、。人事の方針がそもそもダメなんですよ。とのことでした。

また、銀行は最低週3回は業後飲みに行きます。夫はお酒が強くないのですが、毎回その融資課長に意味もなく正座させられ、「お前はそういうところもダメなんだ」と結構飲まされたとのことでした。ただ、まじめな夫は「社会人とはこういうものだ」と思っていたらしく、一種の洗脳になっていました。

3ヶ月くらいたった頃でしょうか。融資課長からの精神的なパワハラは夫を蔑む発言だけではなく、ついに融資課長は夫の家族のことも馬鹿にしたそうです。「お前は仕事ができないってことは、親も相当なあれなんだろうな。早く辞めろよ。」って。今の夫ならブチ切れているでしょうが、その時は弱っているし、立場も経験も上の人。戦っても勝てないことはわかっていたのでなにも言えなかったとのことでした。その日最寄り駅で泣いたそうです。自宅について、母に真顔で「死んでもいいかなあ」って聞いてしまったとのことでした。あとで聞きましたけどこれやばいですよね。

そんなこんなで半年たち、融資課から窓口課に配属。やっと解放されたと思ったのもつかの間、窓口課には銀行内でも有名な「辞めさせ屋」といわれるお局がいました。辞めさせ屋が夫の指導員となったのでした。

今度は仕事を教えてもらえない、話しかけても無視、仕事をしてミスしたら「なんで聞かないの?みんな迷惑してるんだけど」と当たられたそうです。教えてくださいと言っても無視されるのに。

そんな辞めさせ屋のいいなりの窓口課長。(夫の銀行では支店長にまで上り詰める人は融資課長→次長→支店長のコースで行くことが多いので、窓口課長になった人はコースから外れた人なんだとか。その時は知らなかったみたいですが、事実を知ってしまうと、、、ねえ、、、)銀行員1年目は新入行員ノートなるものを毎月指導員に見せてできたことを申告。認めてもらえれば課長まで印鑑をもらうのですが、半年間1つも印鑑を押されなかったそうです。その新入行員ノートは研修のたびに人事部に提出するのですが、人事部からなにも言われなかったとのことです。ありえないですよね。人を大切にしない会社のどこが優良企業なんだか。

社会人経験で一番つらかった、もうあの時には戻りたくない。ていうかできるなら嫌な思いをさせた行員に仕返ししたい。しないけど。とのことでした。

実は他の支店でもジョブローテーションが上手くいっていなかったようで、同期の3/4は夫も含め1年で異動となりました。歓送迎会の時にもらった花束と嫌味がたくさん書いてあった色紙は、その支店の最寄り駅でゴミ箱に捨てたそうです。もちろん二次会はなにも言わずに帰ったとのことでした。最後に少しだけ逆らうところが夫らしいです。

社会人になってすでに夫とお付き合いをしていたので、この一年目の時の夫は本当に辛そうでした。異動できて私もうれしかったのを覚えています。

長くなってしまったので、続きは次の記事で。

今のところ、いいところなしの夫。どうなるのでしょうか…お楽しみに!

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